母が亡くなってからというもの、わたしは様々な精神的不調を感じるようになっていました。
アルコール依存症は本人だけの問題でおわることなく、その子どもにも大きな爪痕を残す病気でした。
そして自分自身、母の影響から立ち直るためにアルコール依存症を知っていくことの大切さに気づきました。
※ アルコール依存症の発覚と母の死までは前回の記事(母がアルコール依存症)をご覧ください。
母を助けられなかった、死にたい気持ちが現れる
母がアルコール依存症を克服できず脳溢血で突然この世を去ってからわたしは罪の意識にさいなまれることになっていました。
一番近くにいた娘のわたしが見捨てたせいで母は死んだのでは、と思うようになっていたのです。
「もっとお酒をやめるようにいえばよかった」
「わたしが良い子じゃなかったからお酒に走ったんじゃないか」
「わたしが悪かったんだ」
・・・このような思いでいっぱいになり、無気力になって、「死にたい」という気持ちが時おり現われていたのでした。
アダルトチルドレンという言葉に救われた
わたしは無気力なまま高校を卒業しました。
その頃も自分を責めることを止められないままでした。
「自分はこの世に必要のない存在」という思いが強く、他人に心を開くこともできない状態でした。
そんなとき自分を慰めるように、ある本を手にとったのです。
その本には「アダルトチルドレン」という言葉がかかれていました。
この「アダルトチルドレン」「機能不全家族」とはまさにわたしのことだと確信しました。
これがきっかけで、母が死んでしまったのは自分のせいではないのかもしれないと思えるようになったのです。
また同時に、アダルトチルドレンは回復が可能だと知り、治療しようと決めたのでした。
自分のため、母のため、回復の道を歩み始める
アダルトチルドレンは病気ではなく概念として捉えられています。
治療として、一般的に
- カウンセリング
- 心理療法
- 自助グループ
などで自分自身を見つめなおすことが回復に必要とされています。
わたしはできる限りの治療をこころみました。
アダルトチルドレンは「自分が悪い」という考えで全てを片付けようとし、「辛い」「悲しい」などの感情に蓋をしています。
そのような感情をもつことで、自分がこわれてしまう気がしていたのです。
ですが、回復には感情を取り戻すことが一番大切でした。
そして自分のせいではなく、自分は子供ながらによくやったと認めることができると回復は進みます。
わたしはカウンセリングなどで
「母にお酒ではなく自分を見て欲しかった」
「夜に帰ってこない母を待つのが辛くて辛くて仕方なかった」
などの思いを涙でぐしゃぐしゃになりながら語ったりしました。
結局、「死にたい」という思いが消えるまでに7年ほど要しました。
長い時間がかかりましたが、少しずつ確実に人生を明るく過ごせるようになっていったのです。
母も病気で苦しんだと知り、本当の回復へ
自分の回復に他に役立ったのはアルコール依存症の知識を得ることでした。
アルコール依存症が病気だというのは、今では多くの方が知っていると思います。
しかし、心のどこかで「本人の意思の弱さがあるのではないか」と思ってしまいませんか?
わたしもそう思っていました。
しかし、お酒をやめたくてもやめられない方々の体験談を聞くことで、そうではないことを学ぶことができました。
わたしが参加させてもらったのは断酒会という自助グループです。
いいっぱなし・聞きっぱなしを原則とし、アルコール依存症に苦しむ方々の苦悩を聞くことができました。
そこでアルコール依存症が「脳のコントロール障害」だということを学習しました。
参加者の話の多くが母と重なりました。
それを聞き、母も苦しんでいたんだと思うと、自然に母のことを憎む気持ちはなくなり、共感すらおぼえていったのです。
今の自分を形づくる大切な経験のひとつ
アルコール依存症という病に苦しんだ母。
その病気の影響で精神的に苦しんだわたし。
みんな一生懸命生きて、誰も悪くありません。
そうわかったとき、わたしはアダルトチルドレンから解放されたのでした。
つらいことが沢山あったのは事実です。
しかし、それらの経験すべてが今の自分を作ってくれた歴史で、大切なものだと今は思えるようになりました。